2014年core of bells月例企画『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』第五回公演「重力放射の夜」

「重力放射の夜」はハードコアビッグバンドである。それは公演タイトルであると同時にバンドそのものの名でもあると言う。Twitterでの事前告知によれば9台のドラムを含む18人編成。会場には当然、ズラリと並ぶドラムセットの姿……は見えなかった。いつものことである。

core of bellsの公演では往々にしてそうであるように、今回もまた、彼らの姿は見えなかった。客席の正面左右を囲むように立てられた黒い壁で会場はいつもより一回り狭い。おそらく、いや明らかに、壁の向こうの空間にドラムセットが並べられているのだろう。と見せかけて実はそこにはいない、というのもままある事態なので壁の上から向こう側を覗いてみれば、やはりそこにはドラムセットが並んでいた。

9台のドラム、という編成から予想された通り、展開されたのはひたすらにドラムの連打だった。「重力放射の夜」=gravity blast nightというタイトルもそれを予告していた。wikipediaによれば「ブラスト(ビート)」とは「主としてエクストリーム・メタル (extreme metal) で用いられるドラム・ビートの一種であり、交互または同時に高速で(主としてバス・ドラムとスネア・ドラムを)打つ事によるビートである。 その音はマシンガンの発射音にも似ていて、爆風をイメージさせ、人間が叩ける速さの限界に挑むような叩き方である。」「今日では、ブラストビートと言えば通常180bpm以上で演奏され、グラヴィティ・ロール (gravity roll) と呼ばれるワン・ハンド・ロールを含むものは、“グラヴィティ・ブラスト”と呼ばれる」という。さて、であるならば、「重力放射の夜」について検討すべき点は次の二つに絞られるだろう。一つはドラムの台数、もう一つは演奏者の姿が見えないという点である。

ドラムセットが9台も用意されていたのはなぜか。もちろん、演奏それ自体について考えるならば、ドラムの台数が多ければ多いほどブラストそれ自体はよりエクストリームなものになっていく、と言うことができるだろう。人数に比例してドラムの手数は多くなる。実際、「重力放射の夜」で披露されたブラストは極めて密度の高いものであった。だが、それだけならば、演奏者の姿を隠す必要はない、と言うか、一般的にはライブは演奏者がプレイする様子も含めて楽しむものだろう。ではなぜ演奏者の姿は隠されていたのだろうか。

「重力放射の夜」においてドラム間で演奏についての意思疎通や協調がどの程度行なわれていたのかを知る由はないが、9台のドラムによる同時演奏は互いに干渉し合い、大きなうねりのようなものを発生させていた。個々のドラムが叩くリズムパターンの重なりとズレが、個々のリズムパターンによるそれとはまた異なる聴覚体験を生み出していたのである。それは演奏者のコントロールの外で生じる聴覚体験である。演奏が速さ的にも体力的にも人間の限界に挑戦するかのような高速で行なわれていたことを考えれば、演奏それ自体もまた演奏者のコントロールからの逸脱への契機を孕んだものであったと言うこともできるかもしれない。演奏者の姿が見えなかったことの意味はおそらくここにある。演奏者の姿が見えれば、観客は聴こえてくる音を演奏者の姿と結びつけて受容する。だが、演奏者の姿が見えなければ、観客は聴こえてくる音のうちどの音が一人の演奏者によって発せられたものなのか、つまりはひとまとまりのリズム・パターンを構成するものなのかを判断することができず、全ての音は等価なものとして聴取されることになる。結果として、個々のドラムのなすリズム・パターンではなく、それらが渾然一体となった「うねり」が聴取される。あるいは、ランダムにも思われる音によって構成される全体の中に、観客自らが何らかのパターンを聴くことになるだろう。

いずれにせよ、「重力放射の夜」では、演奏それ自体というよりはむしろ観客による聴取体験に焦点があてられていた。主観的な視覚体験が幽霊を生み出すように、主観的な聴覚体験が「うねり」や譜面には存在しないリズム・パターンを生み出す。その意味で、「重力放射の夜」もまた、『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』の他の公演と同じようにそこには存在しないはずのものを呼び出す降霊術なのであった。1時間以上もの間ドラム9台によるブラストに曝された観客は、耳鳴りととともに帰途に就く。耳鳴りもまた主観的な聴覚体験であり、core of bellsによる降霊術の結果であることは言うまでもないだろう。